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「捕虜第一號」と「約束の海」 [八月が来るたびに]

 今年の夏休みに読んだ本。

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 「海街diary」じゃなくて、酒巻和男著の「捕虜第一號」です。

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 昭和24年11月15日発行という大変古い本です。 地元の図書館に蔵書があったので借りたのですが、外装がボロボロなので、ブックカバーに入れて大切に読ませていただきました。 酒巻和男は、謎の”第23回(20年正月)”の 『ホ』の札に紹介された、特殊潜航艇に乗って真珠湾湾内突撃を目指した10名のうち、ただ一人生き残り、「九軍神」にならなかった代わりに 太平洋戦争における”日本軍人の捕虜第1号”となった方です。

 彼の数奇な運命に惹かれた 作家の山崎豊子は、彼女の絶筆となる小説「約束の海」の主人公の父親のモデルとして彼を登場させています。 というよりも、「約束の海」自体が、自身の最後になるであろう作品の主人公として酒巻を描きたいがゆえに、過去編の主人公となる酒巻に対比する形で、”ある事故により重い十字架を背負った現代の潜水艦乗りの自衛官”として、現代編の主人公の花巻朔太郎が設定されているのです。(同作のあとがきなどによる)

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 山崎の死去によって第1部にて終了した同作ですが、構想ノートなどによれば、第2部では花巻の父 ”和成”の戦争体験、すなわち、真珠湾攻撃から日本兵捕虜第1号になって米本土の収容所暮らしの中で日本人としての自分を見つめ直すという、まさに酒巻の戦争体験が語られます。 そして、かつての特殊潜航艇の訓練地である宇和島の海を見ながら、親子で真の平和を実現することを誓いあう姿が描かれます。 続く第3部では、潜水艦艦長となった朔太郎が父との約束を胸に、東シナ海の水面下やアジア各国で平和を守るための静かな戦いに従事する姿が描かれるという壮大な物語となる予定でした。 完成していれば(映画化もされたでしょうし)、我々日本人が平和とは何か? 国を守るとはどういう事か?を、あらためて考え直すきっかけとなったでしょう。 本当に未完のまま終了したことが惜しまれる作品です。

 さて、「捕虜第一號」に話しを戻すと、こちらは酒巻が真珠湾攻撃に参加し、捕虜となって米国本土の収容所を転々とした後に帰国するまでが、4章構成で描かれています。 第1章では、酒巻が海軍に入隊した後に”特殊潜航艇(甲標的)”の乗組員に選抜され、厳しい訓練の後に最初で最後の実戦である真珠湾攻撃に参加して捕虜になるまでが記されています。 コンパスが故障した艇を必死に操作しながら真珠湾内突入を目指して奮闘する姿が、当事者でしかわからない生々しさで描かれるとともに、華々しい航空打撃部隊の活躍の影に隠れた”特殊潜航艇”の作戦行動を記録した、歴史的にも非常に貴重な証言です。

 第2章は、はからずも日本軍人の捕虜第一号となってしまった彼が、米本土内の収容所生活の中で いかに再生していったかが描かれます。 大戦中とは思えない収容所周りの大自然の描写や、帰国までに彼自身が移送された複数の収容所について書かれています。 第3章では、収容所内の日本人捕虜(米国在留邦人も含む)の暮らしぶりが詳細に紹介されています。 日本軍の階級制を利用しながらも、統率された誇りある捕虜生活を模索する花巻達の士官組に対し、もはや軍の階級などお構いなく実力(腕力)主義に走ろうとする者たち(単に荒くれ者だけでなく、大戦後期の非軍属の徴用兵も多かった)。 自らの保身のために階級偽装や、他人を貶めるような密告を行うもの。 そして、過度なストレスにより精神に異常をきたす将官。 これも実に生々しい話しですが、保身のための嘘を繰り返した者や、玉砕の地でさっさと投降して米軍の宣伝放送に加担した下級兵が、帰国の途にある輸送船から海に突き落とされたというエピソード(酒巻は伝聞により知る)は心が痛みます。

 第4章は帰国して郷里の徳島に帰るまで、そして、地元で嫁をもらい、新しい職を得た新天地に旅立つところで結ばれています。 軍国少年だった著者が屈辱的な捕虜になりながらも、豊かなアメリカ本土の文化と大自然に触れて、新時代の日本人として生まれ変わっていく姿が描かれた、本当に平和とは何かを考えさせてくれる一冊でした。 

 ただ、不可解な点もありました。 捕虜時代の自身の体験を正直に克明に記した本作ですが、彼自身に対する尋問の様子については どこにも、1行たりとも描かれていないのです。 酒巻は奇襲攻撃(アメリカ流に言うと”だまし討ち”)を仕掛けてきた日本軍の貴重な捕虜です。 彼に対する尋問は熾烈を極めたはずです。 ウィキペディアなどには、捕虜になった直後の彼の写真が掲載されていますが、それはたいへん異様な写真です。 屈辱的な捕虜となったはずなのに、写真の彼は奇妙な笑みを浮かべているのです。 そして、頬には無数の赤い斑点。 これは火の付いたタバコを押し付けられた跡で、捕虜虐待の証拠であるという説があります。 一方で、捕虜となった自分の写真を撮られることを恥じた酒巻が自傷したという説もあります。(ウィキは前者、山崎は後者の立場) 

 さらに酒巻は終戦後に帰国した際に、日本側からも度重なる事情聴取を受けています。 戦争が終わったとはいえ、米国でどんな証言をしたのか、どんな活動をしたのかは、日本側(政府? 旧軍部?)の関心も非常に高かったはずです。 そして米日両国の尋問は、酒巻にとっては決して心休まるものではなかったはずです。 酒巻の自宅には、彼の帰国を知った者から 「戦死者に詫びるつもりがあるなら、今すぐに割腹自殺せよ」といった内容の手紙が度々送り付けられていました。 捕虜になったこと自体もそうですが、捕虜としての屈辱的な尋問を受けた事実も、極限状態の尋問の際にどういう応答をしたのかということも、彼にとっては決して他人には漏らすことのできない秘密だったのでしょう。 


 最後に彼は、愛知県の自動車会社に請われて就職することになりますが、これはトヨタ自動車のことです。 本書によると、酒巻の元に『面談の後に希望の職にて採用させていただく』という、極めて破格の内容の”逆求人案内”が来たとのこと。 これは酒巻と海軍兵学校の同期で、同じ捕虜収容所にいた作家の豊田穣(当時は東海地方在住の新聞記者)によって酒巻のことを知ったトヨタ幹部が、『ぜひ我が社に』という事で採用されたという事らしいです。 ここで注意したいのが、当時のトヨタが まだ三河の単なるベンチャー企業だったという事です。 当時、日本で自動車産業が成立すると考える人は皆無で、名証のトヨタの株価は松坂屋や敷島パンより下でした。 しかし酒巻は、自分の第2の人生を『ひなびた田園の中で新生活をスタートさせるのもよい』と、新妻とともに三河に旅立つのです。 そして、この数奇な運命をたどった海軍士官は、今度は企業戦士として日本の再建に尽力し、結果としてトヨタのブラジル法人である トヨタ・ド・ブラジルの社長にまでなるのです。 なんという生きざまか。 山崎豊子が、”この人を書きたい”と願ったのがわかる気がします。


 予断ですが、「約束の海」では、主人公 花巻朔太郎の実家は、父親のモデルとなった酒巻の経歴により、愛知県の豊田市に設定されています。 朔太郎が帰省の時に、豊田市まで通じているはずの名鉄三河線を利用せずに(だって不便だもん)、名古屋本線の知立駅に迎えに来てもらうとか、その知立駅で名物の”大あんまき”を買って帰るとか、三河地方に住んでいる人にだけわかる ”あるある”感がとても楽しく、そしてまた、この花巻父子を少しだけ身近に感じることが出来るのです。 

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