SSブログ

作者の著作に関する年表 「夕凪の街 桜の国」バージョン [こうのまんがの謎]

「夕凪の街」執筆から「夕凪の街 桜の国」単行本発売、賞受賞くらいまでの年表。

033.jpg

※クリックすると大きくなります。

nice!(0)  コメント(0) 

「夕凪の街」という物語 その2 [こうのまんがの謎]

 単行本のあとがきによれば、作者が「夕凪の街」を描きはじめたきっかけは平成14年(2002年)の夏に編集さんから”広島の話し”を描いてみないかと勧められたことだったという。 広島弁でまんがが描けると喜んだ作者は、すぐに編集さんが言っているのが”ヒロシマ”ということに気付いて困惑する。 広島市出身ではあるが、自身の身内に被爆者のいなかった作者にとって、それは自分などが踏み入れてはいけない領域だという思いが強かったからだ。 しかし、反対してくれると思った夫や友人から逆に勧められたこと、自分の中に感じていた(ヒロシマから逃げ続けるという)”不自然さ”が広島から遠い地に住む人々の中には意識もされずに存在していることに気付いたことにより、作者は筆を取る決心をする。 

 ちょうどこの時期、一向に売れもせず、原稿が速くもならないと自分の将来に強い不安を感じていた(「さんさん録」あとがきより)作者にとって、この”ヒロシマを描く”という挑戦は、自身のまんが家としての未来を模索する追い詰められた一手でもあったのだろう。 テーマがテーマゆえに編集からの注文やダメ出しは相当な数に上がったと考えられるが、しかし、広島在住の家族の手助けもあり、作者はようやく「夕凪の街」という作品を描き上げる。 作品完成の時期は不明だが、作品の性格上、平成15年の8月の雑誌掲載を見越して完成されたと考えられる。 だが、雑誌掲載はなかなか実現しなかった。 その衝撃的な内容ゆえに、出版社側が二の足を踏んだと考えられる。 批判を恐れてのいわゆる自主規制というやつだ。(「平凡倶楽部」の「東京の漫画事情」参照)

 雑誌掲載がなかなか実現しないなか、作者は自作の自費出版の道を模索し始める。 作者は”の乃野屋”という個人サークルを興して同人活動をしており、これまでにも単行本化の声のかからない、「かっぱのねね子*」や「こっこさん」を自費出版している実績があるのだ。 実際に雑誌掲載までの間に、同人誌用の原稿を完成させていたと推測されるのだ。(その3で説明) このような状況の中、平成15年の夏はあっという間に過ぎて行った。 しかし、秋になり転機が訪れる。 週刊漫画誌だった「Weekly漫画アクション」が休刊となったのだ。(週刊アクション休刊のいきさつは「上巻 と 冬の記憶」の回を参照)   (*「かっぱのねね子」の自費出版版は2004年刊行です。)

 ついに双葉社のスタッフは、「夕凪の街」を そのWeekly漫画アクションの最終号に掲載することを決断するのだ。 仮に作品に対するクレームが来ても、謝罪や訂正をすべき雑誌はもう存在しないからだ。 こうして、「夕凪の街」は”Weekly漫画アクション2003年(H15年)No.37・10月30日号(発売日 同年10月16日ころ)”に掲載される。 この作品の掲載により、こうの史代という作家の名前は業界人や一部の漫画ファンの中で知られていくこととなる。 翌平成16年(2004年)3月に漫画アクションが月2回刊で復活すると、「夕凪の街」の正当続編である「桜の国(1)」がアクション8月6日号(発売日 7月20日ころ)に掲載され、その後編にあたる「桜の国(2)」を描き下し収録した「夕凪の街 桜の国」の単行本が同年10月12日に発売されるのだ。 そして、その後幾多のメディアに取り上げられ、権威ある漫画賞の受賞、映画化と、作品発表から単行本発売までの流れは怒涛のごとくで、雑誌掲載までのすったもんだなど無かったかのようなシンデレラストーリーである。

 以上が、「夕凪の街 桜の国」という作品が辿った数奇な運命の概要なのだが、ポイントになるのが「夕凪の街」同人誌版の発売がいつだったのかという事だ。 そこで、貸してもらった同人版の奥付を確認すると、”2003年11月16日発行”とあった。 ”初出 weekly漫画アクション37号”との記載もある。 つまり、初出はアクションという事になる。 「最初に同人誌として出た」という話はガセだったのだろうか? 実は、11月16日という日付に問題を解決するカギが隠されていたのだ。 この日は作者も作品発表の場として積極的に関わっていた、”COMITIA 66”の開催日である。 同人版は、この”コミティア66”に合わせて発行されているのだ。 そして、コミティア66のHPを見ると、同人誌初出説の謎が解けるのである。

 その謎を探る前に、まず、”コミティア”が何なのかを調べねばならない。 コミティアは、いわゆる”コミケ(=コミックマーケット)”の一種で、同人誌の即売会かと思いきや、そのホームページには崇高な理念がしたためられていた。 コミティアは自らを、”自主制作漫画誌展示即売会”と位置付けている。 ”同人誌”という言葉には仲間内で楽しむものという意味合いが強いため、敢えて”同人誌”という言葉を使っていないのだという。 そういえば、確かにコミケは同人サークル仲間とその関係者(オタクさん、コスプレーヤーさん、お金儲けの人たち)のお祭りみたいな側面が強いのに対し、コミティアでは創作作家の作品発表の場としての意味合いが強いようである。 そして、”「創作物の発表の場」として販売物はオリジナル作品のみに限定”しているのも、パロディや2次創作ものが主流のコミケとは対照的である。 オリジナル作品であれば商業用の単行本でも販売していいのだ。 コミティアには、売れないプロ作家さんや、そうはなりたくないと思っているプロ予備軍の人が多く参加しているのもそのためか。 ああ、そういえば、作者の「長い道」収録の”道草”は 『自費出版』と紹介されていたな。 ということで、当ブログではコミティアの理念と作者の心意気を忖度して、今後は11月16日発行の「夕凪の街」を”自費出版版または自費版”、双葉社刊の「夕凪の街 桜の国」を”商業版”と呼称します。

 さて、本題に戻る。 そのコミティア66のホームページの「ごあいさつ」では、”本年のマンガ界最大の収穫”として自費出版版を取り上げている。 そして、その初出が”コミティア65の見本誌”であると解説しているのだ。 その見本誌の発行日は不明であるが、コミティア65の開催日は 2003年(H15年)の8月31日である。 つまり、「夕凪の街」は2003年の8月以前に、(アクション掲載よりも前に)この世に出ているのだ!! 私は、この作品にかけた作者の執念ともいえる気迫に(ちょっとオーバーだけれども)魂の震えすら感じざるを得なかった。 この思いは、この作品に触れ、そしてこの作者の自費版出版までのエピソードを知った者が共通して感じたことではないだろうか。(コミティア66の”ごあいさつ”を執筆された方もきっとそう感じたのでしょうね)

 

 商業版単行本出版の後のストーリーについて見てみよう。 H16年10月12日の商業版初版発行後、(地元の中国新聞などを除いた)主要全国紙で真っ先に本作を取り上げたのは、実は朝日でなくて読売新聞であった。 同年10月27日夕刊の「コミック館」の中で本作を新刊紹介で取り上げている。 この新聞記事掲載の情報を事前につかんでいたであろう双葉社は、前日26日の読売朝刊に掲載された自社の新聞広告に、急遽本作の広告を差し込んでいる。 自社の通常の広告を少し縮め、新聞記事わずか5行分の幅の、活字のみの、まるでしおりのような広告を挿入しているのだ。 これが、私が確認した限りでは最も早い本作の新聞広告である。 なお、10月に他紙に掲載された双葉社の広告は、朝日が10月30日朝刊に松岡修造の本をトップに、毎日が17日朝刊に西村京太郎をトップにしたものであった。 両紙とも「夕凪の街」はおろか、コミックスの宣伝は皆無だった。

 11月になると朝日が反応する。 11月28日の朝刊、「コミック教養講座」で1ページまるまる掲載して紹介している。 なお、11月の双葉社の新聞広告は、朝日が13日朝刊で佐伯泰英の「無月ノ橋」がトップ。 読売は28日朝刊に志水辰夫の「約束の地」がトップ。 毎日に至っては28日朝刊に「横浜中華街裏ワザBook」がトップで、「夕凪の街 桜の国」の広告はなかった。 まだまだ嵐の前の静けさといったところか。 しかし、12月になると状況は一変する。 

 12月17日、文化庁は第8回メディア芸術祭漫画部門の大賞に本作を選出する。 翌18日の毎日朝刊で本作の大賞受賞が小さく報道される。 それは、同紙に連載中の「毎日かあさん」が漫画部門優秀賞を受賞した記事のオマケという扱いにすぎなかった。 毎日は自分が調べる限り、本作を積極的には取り上げていないようである。 20日夕刊の「ほんの森」”今年のベストセラー”の記事では「デスノート」や「のだめ」などの紹介はあっても本作の紹介はなかった。

 さて、この漫画賞を受賞したことにより本作は怒涛の嵐に巻き込まれていく。 12月22日、読売夕刊の「コミック館」で”’04回顧”として2004年を彩った漫画を紹介しているが、本作をその特集の最後に写真入りで、『忘れたくない』作品として再び紹介している。 そして、26日には読売と朝日で、29日には毎日紙上で双葉社は本作一本に絞った広告を掲載している。 『文化庁メディア芸術祭大賞受賞』、『大増刷出来』とのアオリが。 同社にとってコミックだけの広告は、おそらく「クレヨンしんちゃん」以来ではないかな?

 年が明けて2005年(H17年)の3月29日、朝日朝刊に(だけ)手塚治虫文化賞の候補作が決まったという記事が載る。 ちなみに同賞は朝日新聞社主催である。 4月9日、朝日朝刊に再び本作一本の広告が掲載される。 通常は1/2幅の広告のところ、なんと1ページ幅まるまるの広告である。(3月に双葉社の広告載ってなかったからな) 『15万部突破』、『映画化決定!』との文字が躍る。  4月10日、読売朝刊「本よみうり堂 愛書日記」で社会学者の佐藤俊樹が「広島とヒロシマ 重い距離」として本作を紹介。 読売3度目の紹介である。 4月24日、読売朝刊の双葉社広告はやはり本作一本である。 内容的には『メディア芸術祭大賞受賞』、『大増刷出来』と、昨年と12月の物と同じ。 朝日の広告のような新情報はなかった。 4月27日、読売朝刊(あれ、夕刊だったかな?)に4たびの登場。 「コミック館」の中で”コミティア72”の中で「夕凪の街 桜の国」を中心とした”こうの史代原画展”が開催されることを告げている。 そして、「夕凪の街」の初出が”コミティア65の見本誌”だったというエピソードまで紹介しているのだ!! 読売すごいな! ちなみにコミティア72は5月5日の開催で、原画展はその後、全国の書店を巡ったという。

 5月10日、朝日朝刊は第9回手塚治虫文化賞新生賞に本作が選定されたことを伝え、作者のインタビューを掲載している。 こうして、書店に並ぶ商業版コミックスの帯には、『ダブル受賞』、『映画化決定』の文字が並ぶことになる。 私が持っている商業版コミックスには、まさにその帯が付いている。 当時、私は欧州に赴任中で朝日新聞の衛星版を読んでいた。(読売が選べなかったんだよ!) 日本の本を取り寄せると3倍の値段になるので、購入するコミックスの量もどんどん減ってきて、まあ、漫画はもういいかな... そう思ってた時だった。 そんなときに一連の本作の報道を目の当たりにしたのだ。 もし、私が山口県出身でなかったら、(広島・長崎ほどではなくとも)他の地域の人よりも ほんの少しだけ原爆のことを心に留めていなかったら、この作品に興味を持つことはなかっただろう。 そして本作を取り寄せて読んだ時の衝撃。 それは原爆がどうのこうのというよりも、純粋に『漫画ってまだこんな表現が出来るんだ!』ということであった。 本作と出会わなければ、私はとっくの昔に漫画から足を洗ってたと思う。

 

 以上のようないきさつの後、作者は連日連夜 あらゆるメディアからのインタビューに翻弄されることになる。 習慣だった日記をつける暇もなくなり、新たに予定されていた単行本の準備作業も進まなくなるほどの忙しさ。 まさに、作者が永年夢見ていた売れっ子の生活である。 正直、この時に作者が”勘違いして”、評論家などのあらぬ方向に向かったとしても不思議ではない状況であった。 だが、幸いにも作者は賢明だった。 自分に群がる記者たちが、自分の事も自分の作品のことをも、実は見てないということに気付いたからだ。 「さんさん録」のあとがきの中で作者は当時を振り返り、「足元を見失なわなかったのは淡々とした日常を描いていたからだ」と言っている。 

 この、”淡々とした(少しビンぼったらしい)日常”を描けるというのは、実はこの作者の一番の才能であり、魅力である。 リアルな日常生活から不必要なものをそぎ落とし、誇張するもの・残すもの・創作するものを吟味してフィクションの中に日常を感じさせるという手法は、その切り取り方の基準を含めて、このヒト独自のものである。 だからこそ、編集さんは敢えてこのヒトに”ヒロシマ”を描かせたんだと思う。

 「夕凪の街 桜の国」や「この世界の片隅に」が多くの人の共感を呼ぶのは、このフィクションの中に造りこまれた”日常”によって、多くの読者が初めて”太平洋戦争”を自分事として考えられるようになったからに他ならない。

nice!(1)  コメント(0) 

「夕凪の街」という物語 その1 [こうのまんがの謎]

 NHK広島放送局は自局の開局90周年記念番組として、こうの史代原作の「夕凪の街 桜の国」をドラマ化し、H30年8月6日に放送することを発表した。 このドラマ化にあたっては、「桜の国」の舞台を現在、すなわちH30年として、皆実の生きた昭和30年と重ね合わせるという、「この世界の片隅に」の連載で用いられた手法を踏襲する試みがなされている。 このため、「桜の国」の登場人物は軒並み”高齢化”し、原作では28歳の七波が46歳とアラフォーになったばかりか、七波の旅の伴が東子から凪生の娘 ”風子”というドラマオリジナルキャラクターに変えられている。

 このような強引な設定変更をしてまでも広島放送局が自局の節目の年の記念番組としてこの作品を選んだのは、言うまでもなく、この作品が持つ稀有な力と魅力によるものだ。 この作品については既に幾百の評論が為されているが、漫画という枠を離れても、例えば 原爆文学の歴史の中でも特別に1章を割いて論ぜられるであろう歴史的な価値を持っているし、実際に広島における原爆語り部活動にも多大な影響を及ぼしている。

 また、この作品自体が辿った数奇な運命も我々の興味を引き立てる。 この作品は原作者の漫画家としての運命を変えただけではなく、「夕凪の街」の執筆から雑誌掲載への紆余曲折、自費出版版の刊行から「桜の国」掲載、そして商業単行本化から その後の狂騒と、この作品の成り立ちを見るだけでも幾多の濃密なドラマがある。 ここで注目したいのが、「こうのまんがの謎???」でも触れた「夕凪の街」同人誌版の存在である。

 「夕凪の街」は、かつて週刊漫画誌であった「Weekly 漫画アクション」の最終号に掲載されたが、作者はその掲載前に既にこの作品を同人誌として世に送り出すことを決意していたという。 一説には、その同人版の刊行は雑誌掲載よりも早かったという。 私は この作品にかけた作者の思いが知りたくて、何とかしてこの同人版を手に取ってみたいと願った。 所有しなくてもいい、とにかく一度見てみたいと。 私はヤフオクのほか、中古同人誌の販売サイトなどをあたって、「夕凪の街」同人版を探しまくった。 そしてこのたび、ある”つて”より期限付きでこの同人版を貸していただく幸運に恵まれた。(私、学生時代に こういう方面に顔が利く人間たちが周りに結構おりまして… 庵野秀明の宇部高時代の8ミリ作品も見せてもらったし。 思えば”オタク”という言葉が世に出る前から活動してたな彼ら。 今は社会的に地位のある人ばっかりですが)

022.jpg

 1週間貸してもらった「夕凪の街」同人版と私所有の商業版単行本。 念願の同人版を読んだ率直な感想は、”驚くべき完成度”でした。 商業版と較べると、当然、「桜の国」パートがないのとカラーページがないだけで、その他の内容はほぼ商業版単行本と同じなのです。 作者は商業版単行本刊行に際して、削ったところはあっても 描き足しているところは(ほぼ)ないのです。 それだけ、責任を持って この「夕凪の街」同人版を世に出したということなのです。 

 そして、新たな発見もあった。 この「夕凪の街」同人版には「桜の国」の”さ”の字も出てこないはずなのだが、実はこの作品の執筆中、既に作者は後に「桜の国」と呼ばれる作品の構想を固めていた…というよりも、必ず描き上げる、どんなことをしても必ず世に出すと固い決意を抱いていたことがわかるのだ。 私は、「桜の国」は「夕凪の街」の反響を受けて、編集側から追加発注された作品だと思っていた。 すなわち、「夕凪の街」の単行本化を早めるために企画された作品だと。(いや、「桜の国」も大好きですよ) しかし、作者は最初から「桜の国」を「夕凪の街」の対となる作品として構想していたのだ。 だから単行本のタイトルは「夕凪の街 桜の国」と並列になっているのだ。  

 「この世界の片隅に」劇場版の製作プロセスは、それ自体が良質なドラマとしての不思議なストーリー性を持っているが、この「夕凪の街 桜の国」という作品も実に不思議な歴史に溢れており、それが作品の魅力をさらに高めているのだ。 「夕凪の街」同人版の中身を検証する前に、まずはこの作品を巡る歴史について調べて見ようと思う。 

nice!(1)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。