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「夕凪の街」という物語 その”番外” [こうのまんがの謎]

 今年のゴールデンウィーク、中央線沿いに用があったので、帰り際に中野駅に降りてみました。 まず向かったのが、中野ブロードウェイ。 「まんだらげ」で”の乃野屋”の本がないか探しますが… うーん、私には中野ブロードウェイはまだ早かったみたい。 ようわからんです。 気を取り直して”新井薬師前駅”の方面に歩き出します。 スマホの助けがないと絶対に迷うような住宅街の中を抜けてたどり着いたのが…

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 上高田氷川神社。 「長い道」の”道草”の回で、道が竹林を”見つけ出した”場所です。 

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 夏祭りの夜、偶然再会した竹林に再び会いたいと願った道が、たびたび訪れていたであろう場所。 買い物帰り、この階段にたたずんでいたときに、ついにかつての思い人にめぐり会うのです。 「長い道」は、「この世界の片隅に」のパイロット版ではないのか?と思うことがあります。

 この2作には、①親同士に決められた結婚、②互いに別の思い人がいる(いた)、本音を言わない夫婦、③子供がいない夫婦、④きつい小姑、⑤貧相な食生活、といったような共通点があり、また、「この世界・・・」で試された、ありとあらゆる漫画的表現方法は、既に「長い道」の中で試行されているのです。 戦争中という特殊な時代を扱い、厳密なタイムスケジュールの中で連載を迎えた「この世界・・・」。 徹底した時代考証や、複雑に絡み合うストーリーに集中するため、基本となる人物構成(特に恋愛面)などは「長い道」の物を踏襲したのかも知れませんね。(工業製品でも、複雑な新技術を投入する際は、ベースは実績のあるものをそのまま使い続けることはよくあること。) あるいは、「長い道」で描かれた事こそが、こうのさんが永遠に追い求めているテーマなのかも。 

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 そんなに大きくない神社なので、夏祭りとか縁日とか本当に出るのかい?と思ってたら、神輿まで出る夏祭りがあるそうです。 おみくじを買うと大吉でしたが、書いてある内容は ほぼ凶で、結構辛口の神様のようです。 上高田氷川神社は、「で、誰?」の回や「円の国」の回でも登場。 

 ちなみに、道たちのアパートは”野方駅”が最寄駅のようですので、道は結構な道草をしていることになります。 なお、「ぴっぴら帳」のキミ子のアパートの最寄駅は〇〇寺駅とあるので”高円寺”のようです。 また、「街角花だより」で取材協力で名前の挙がっている花屋さんは、同名のお店が阿佐ヶ谷商店街の中にあります。(何回か移転されているようですが)

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 そして、「桜の国」で引っ越す前の石川家と利根家の最寄駅が、ここ”新井薬師前駅”。 南口です。 平日なのか、そんなに賑わってはない様子。 商店街も同様...  そして、都道420号線に出て北を目指します。

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 2分ほど歩くと見えてきたのが、”片山橋陸橋”。 「桜の国」のクライマックスで登場しますね。 事前にグーグルのストリートビューで見る限りは、作中のような片山橋越しの”水の塔”は見えませんでした。 やっぱり、ここまで歩いて来ても、陸橋越しに塔が見えるところはありません。

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 七海じゃないけど、「桜の木が大きくなったから」塔も見えなくなったんですね。 

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 片山橋に接近し、

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 七海のように階段を上って陸橋の上に。

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 橋の上からも水の塔は見えませんねえ。 「桜の国」が執筆されてから14年。 桜並木はさらに大きくなったんでしょうね。 さあ、気を取り直して、回れ右。

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 南を向いて、「母さん、 見てるんでしょう 母さん」。 さて、片山橋を降りて、さらに北へ向かいます、が…

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 片山橋の一つ北の交差点。 ここには見覚えが。 「平凡倶楽部」の”記録の記録”の回で、桜並木の定点観測をしていた所ですね。 片山橋の隣だったんだ! こうのさん、毎日ここまで通ってたんですね。 お気に入りの場所なのかな。 向かいのお店らしきところ、事前に調べたらイタリアンらしく、ランチかお茶でもと思っとったら…

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 4月で閉店。 桜並木だけじゃなくて、街もどんどん変わっているのですね。

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 そして、ここまで来ると、ようやく桜並木の向こうに水の塔が見えてきます。 塔の方に向かいましょう。

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 突き当りの丘を登ると見えてきました。

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 水の塔。 作中、度々登場する この塔は、原爆ドームの暗喩とも言われていますが、その大きさゆえ、七海たちを見守る”母”のような存在でもあります。

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 塔の下には”水の塔”公園。 ちょうど近くの保育園のお迎えの時間で、親子連れでにぎわっていました。

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 七海と東子の思い出のブランコ。 「夕凪の街 桜の国 2018」でも出てくるのでしょうかね? 今回、中野を訪れてあらためて感じたのは、初期のこうの作品は本当に中野区密着で描かれたんだなぁということ。 こんな都会には住みたくはありませんが、それでも街中を歩いていて不思議な懐かしさを感じたのは、こうのまんがに描き込まれた”町のにおい”によるものなんでしょうね。

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「夕凪の街」という物語 その4 [こうのまんがの謎]

 ”のののーと”は、こうのさんの個人サークルである”の乃野屋”の機関誌のようなもので、こうのさんの近況と作品情報が紹介されている。 私がお借りした本には、2003年11月発行の”のののーと”の19と、2004年5月発行の”その21”が挟みこんであった。 #19は「夕凪の街」自費出版版の刊行、すなわちCOMITIA66の時に発行されたものと思われ、”その21”はCOMITIA68(2004年5月4日開催)の時に発行されたと思われる。 おそらく、この本のオーナーさんはCOMITIA68のときに購入されたのだろう。

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 #19では、まず”のののーと”の発行が久しぶりであることと、作家活動の近況(「街角花だより(日和版)の連載開始と終了、「夕凪の街」の雑誌掲載)紹介、構想していた”爺さんの話”(さんさん録?)が進展していないことを紹介している。 そして、新刊である「夕凪の街」の解説へと続く。 この中で こうのさんは 自費版(あるいは商業版)の解説に書かれた事よりも詳細に、本作の執筆動機を語っておられる。

 まず、自費版同様に自分の家族や近親者に被爆経験者がいないことを明言しているが、それは『貴方が、わたしと同じだけの知る権利と語る権利を持っている、と知って欲しいから』なのだと訴えている。 そして、いわゆる”語り部”の人たちが どれだけの”苦労と勇気”を持って自分たちに語ってくれているのかに思いを寄せた時に、『伝えるぐらいの役割はせめて負うべきなのだ』と考えられるようになったという。 この作者の思いは、後の「この世界の片隅に」の執筆動機にもつながっている。

 そして、作品を描き終えた現在、『このままでは終われなくなってしまった事も、強く感じ』ているという。 読者がこの作品を読んで原爆に興味を持っていろいろ調べるようになった時に、外部の人が立ち入れない領域があることに気付くかもしれないが、『だからといって貴方に無関係ではない事を、どうぞ忘れないで下さい』ということを、ひとりの人間として伝えたかったと。 そして、さらに作者の決意が続く。 『正しい心を持って、現代の我々につながるヒロシマを、次は描こうと思います。 商業誌で発表出来るかどうかは厳しいけれど、だめでも自費出版します。 見ていてください。』 

 私はこの文章を読んだ時に軽い衝撃と感動を覚えた。 この時点で、作者は後の「桜の国」執筆を決意しているのだ。 そして、その作品が「夕凪の街」(この時点で単行本化の話はない)以上の困難に直面することを既に自覚しており、そのうえで必ず世に出すと誓っているのだ。 そこには、売れないとか、原稿が早くならないとかで悩んでいたまんが家の姿はない。 あるのは、自分が描くべき作品に出会った作家の姿である。 作者のこの情熱は編集者や読者を巻き込み、「夕凪の街 桜の国」という一つの作品は1年後に無事に出版されることとなるのだ。

 「夕凪の街 桜の国」という作品が無事に世に出られたのには、担当編集者の染谷さんの功績も大きい。 朝日新聞の2005年(H17年)6月14日付け夕刊に、「辛抱が支えたヒット作」として、染谷さんのインタビュー記事が載っている。 別の編集者から漫画賞の選に漏れたこうのさんを紹介された染谷さんは、すぐに”淡々とした日常の中に喜怒哀楽を描ける”こうのさんの才能に気付いた。 そして、このヒトに”最悪の(戦争)犯罪”である原爆の話しを描いてみるように勧める。 慣れないテーマに悩むこうのさんに、「胃痛にはほうじ茶が効く」などと辛抱強く励まして待ち続けた。 「1年待った草稿 涙あふれた」と見出しにあるように、結局 「夕凪の街」で1年、「桜の国」でもう1年、辛抱強く待ったことになる。 Faxで送られてきたネームを見た染谷さんは、漫画編集者生活で初めて泣いたという。 そして「あんた、天才だよ」と涙ながらに言ったそうだ。 染谷さんの大学の漫研の先輩にあたる いしかわじゅんは、『染谷の手柄は、作家を信じて待ち続けたこと。 出版不況の今、それはなかなか出来ることではない。』と評している。 

 染谷さんについて こうのさんは、『どんな原稿でも受け止めてくれる』、『避けたいテーマに向き合わせてくれた。 おかげで、自分の身の程を知る機会を失ってしまった』と感謝の言葉を口にしておられる。 なお、この記事には”打ち合わせ中”のこうのさんと染谷さんの写真が載っているが、二人が見ている原稿は、この年の3月に「まんがタウン」に掲載された「長い道」の”蜜柑の国”の原稿である。 これは、新聞にありがちな「ここで、いかにも打ち合わせしているような感じでお願いします」と言って撮られた写真なのかな? それとも、この記事の後に刊行された「長い道」単行本の編集作業の本物の打ち合わせなのだろうか? もし前者だとしたら、このころから こうのさんのマスコミ不信は始まっていたことになるのだろうな!

 ”のののーと #19”は、この後、作者の仕事が紹介される。 商業誌の仕事については、連載中だった「ぴっぴら帳」を『もうたいがいやり尽くした』として、来年(2004年)2月で終わらせることを告知している。 そして、単行本の続刊が出なかったことが心残りだが、いずれ何とかすると言っておられる。 「長い道」については、連載も3年になるので新しい登場人物を出すつもりだと… その後、荘介の妹の”園子”が出ていますね。

 ちなみに作者は「長い道」のことを”貧乏仮面夫婦まんが”と公言しているが、そのほかにも、「こっこさん」を”やよいとこっこさんの波乱と恐怖の日々”、「夕凪の街」を”女の子が血を吐いて死ぬまんが”、「この世界の片隅に」を”主人公が死ななくて、がっかりされるまんが”と呼称している。 まあ、作者ならではの愛のある自虐表現ですね。

 最後のページには通販の案内が載っており、この時には 「夕凪の街」、「こっこさん(自費出版版:B6/148P/600円)」、「ナルカワの日々(B8/20P/100円/孔版印刷)」がラインナップされている。 いずれも、今では高額で取引されている作品たちだ。 ちなみに「のののーと」だけの通販も行っており、現金80円か80円切手での購入が可能だったようだ。


 ”のののーと その21”は、その号数が示すように、作者待望の「ぴっぴら帳」の続刊(完結編:2004年4月28日発売)とサイン会の紹介から始まっている。 そしてページをめくると、当時の巷をにぎわせていたイラクの日本人人質事件(の人質家族のマスコミ対応)をネタに、マスコミの取材に対する意見、というか、(何故か)自分がそのようなことに巻き込まれることがあったら、家族には こう対処してほしいという事を述べられている。 そして、その人質をどう扱うかという問題(当時、自己責任論が盛んに叫ばれていた)で度々引用されていた、”ダッカ日航機ハイジャック事件”での福田総理(当時)の『一人の命は地球よりも重い』というセリフに対して持論を展開されている。 こうのさんの命の価値に対する考え方がわかって興味深い内容です。

 そして、自分の<最近のしごと>に行く前に、自費出版作品の新刊の紹介をされている。 「ストポ」というその作品は、『ポトスへの愛と、あと実はいま構想を練っている別のまんがに、帰納的な展開を取り込めないか』と描いた習作だという。

 この、現在構想中の作品こそ「桜の国」だと思うのだが… 「桜の国」では、七海と東子のロードムービーに旭と京花の馴れ初めが挿入され、最終的に片山橋陸橋の上での七海の「確かに このふたりを選んで 生まれてこようと決めたのだ」というセリフに帰結する。 この構成のことを”帰納的”と言っておられるのだろうか? いずれにせよ、作者の中で「桜の国」という作品が徐々に形づくられていたという事が伺える。

 <最近のしごと>では、「ぴっぴら帳 完結編」刊行の喜びと感謝を述べられている。 また、「長い道」の解説では、荘介と道を『そろそろ本当の夫婦に成長していってもいいかなあ』と書いておられますが、確かに、この後の”四畳半の客”や”ほうきと荘介”の回では荘介の気持ちが変わってきていることが伺えます。 そして、「夕凪の街 桜の国」の単行本発売と入れ替わりに、「長い道」は大団円を迎えるのです。

 そして<最近のしごと>の最後に、夏ごろに別の単行本を出してもらえそうだと、嬉しさを隠すことなく報告されています。 この単行本は恐らく「こっこさん」だと思われますが、同作のあとがきにあるように、「桜の国」執筆と掲載 ならびに「夕凪の街 桜の国」の単行本化準備、そしてその後の騒動により、「こっこさん」の単行本化は遅れに遅れて 2005年(H17年)の2月にまでずれ込むのです。

 通販の紹介は、「ストポ:B7/32P/孔版印刷/100円」、「夕凪の街」、「こっこさん(自費版)」でした。 


 今回、貴重な本を貸していただけたことで、「夕凪の街」という作品と「桜の国」という作品に込めた作者の思いを深く知ることが出来ました。 特に「のののーと」が読めたことは大きかった。 本当に、この2作は最初から対の作品として描かれたんですね。 これにより、私は「桜の国」という作品が一層好きになりました。 貸していただいたオーナーさん、ありがとうございます。 全ページ、スキャンしようかとも思ったんですが、中綴じの本じゃないので、貴重な本を傷つけてしまう恐れがあるので断念。 数ページ分、写真を撮るに留めました。 でも、この本のことはもっと多くの人に知ってもらい、実際に手に取ってもらいたいとも思いました。 なお、「夕凪の街」の自費出版版は、広島の平和記念資料館の資料室に蔵書が一つあるようです。

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「夕凪の街」という物語 その3 [こうのまんがの謎]

 それでは、自費出版版と商業版の読み比べをしてみよう。 この2冊には以下のような差異が確認される。

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 もちろん、自費出版版には「桜の国」に関わる部分が掲載されていないが、そのほかにも細かい差異が見受けられる。

カバー・帯と表紙

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 商業版には当然ながらカバーと帯が付いている。 また、「桜の国」が掲載されているので、背景には桜があしらわれています。 本体表紙は切り絵調になっているが、自費版はカラー、商業版はモノクロ(オレンジ1色)となっている。

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 表と、

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 裏。 これ、写真では分かりづらいですが、自費出版版はパステルのグラディエーションで、かつパール仕様になっていて大変美しい仕上がりです。

見返しと扉

 自費版は表紙を開くと、裏に巻頭言、そして本編の前に白い和紙調の見返し(遊び)が挟まれていて、たいへん上品な作りです。 商業版は表紙裏は無地で、薄黄色の紙が見返しとして入り(裏表紙前にも同様の紙が挿入)、扉が続きます。 扉には作品名と作者名が入りますが、パステル調のグラディエーションで自費版の表紙の配色を意識しています。(色の配列は自費版とは異なる)

目次と巻頭言

 自費版は表紙の裏が巻頭言で、双葉洋装店の前でメモをする皆実と古田さんのモノクロイラストが。 扉はありません。(先の和紙が扉の代わりにもなっている様子) 一方の商業版は、扉の裏に見開きで目次が入ります。 平和大橋の上でウクレレを弾く皆実と背景には月夜と原爆ドーム。 目次の後が巻頭言で、自費版の絵をカラー化したものです。

夕凪の街(本編)

 「夕凪の街」の本編は2冊とも絵はもちろん同じですが、写植が異なります。 つまり、2種類の原稿が存在することになります。 これは、原稿が完成した後も雑誌掲載が難航し、作者が独自に自費出版用の原稿を作成していたという事の証明でもあります。(その後雑誌掲載より早くCOMITIA65の見本誌で発表)

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 自費版の写植は、ワープロか活版印刷で作成されているようで、ルビやページ数は手書きです。 セリフそのものは自費版から商業版の過程で数カ所(主に読みやすさを考慮して)、言い回しが変更されていますが、本編の内容にはほとんど影響ないレベルです。 ラストの1ページ前のフジミお母さんの呼びかけが、自費版では吹き出しで被われておらず、誰のセリフか判り難かったのが、商業版では直されているのも読者の分かりやすさを優先したのでしょう。 

 さて、本編の内容には関係ないレベルの変更と描きましたが、1ヶ所だけ大きな変更があります。 上のページ(商業版ではP14)の一コマ目の皆実のセリフ。 自費版では旭のことをイトコと言っています。 これでは、皆実は打越に嘘はついていないけど真実も言っていないということになります。 この時、まだ皆実は打越に完全には心を開いていないという事なのでしょうね。 商業版では”弟”と直されており、読者に余計な混乱を与えないように考慮されたのかな? それとも、皆実と打越の間に嘘は挟みたくないとの編集/作者側の配慮があったのかな??

空白のページ

 商業版では本編の後に空白のページ(P35)が設けてあり、あとがきで「このオチのない物語は、三五頁で貴方の心に湧いたものによって、はじめて完結するものです。」と続けられているが、自費版にはこの演出はなく、商業版の目次で使われたイラストの元絵が置かれている。 ちなみに商業版は十三夜だが、自費版は満月である。

参考資料・解説・あとがき

 参考資料と解説は「桜の国」に関する部分と、自費版オリジナルコンテンツに関する差異がある。 自費版では参考資料にイラストはない。 また、自費版の解説では項目が一部、登場ページ順になっていない所があります。

 さて、私がこの作品を読んで一番驚いたのが、実は本編の内容ではなく、解説の中で 作者が皆実の原爆症の説明が不十分だったと わざわざ補足している点です。 ”え、わからない人がいるの?!” 少年時代に、(当時)原爆死没者が全国で3番目に多いと自覚していた県の教育を受けていた私にとって、それは大変な驚きでした。 この驚きこそ、作者がこの作品を描こうとした原動力なのですね。

 あとがきでは協力してくれた家族の表現が、商業版では”父”・”姉”となっているところが、自費版では”お父さん”・”姉ちゃん”と より親しみを持った表現となっているのが面白い。 ちなみに自費版のあとがきは、最後に”二00三年十月 冷たい雨の午後に”で結ばれている。

駅前広場青空常設劇場の回顧録

 自費版オリジナルコンテンツである”駅前広場青空常設劇場の回顧録”は、昭和29年から31年にかけて通学で広島に通っていた広島市の菅原博氏(あれ、このヒトは?)が駅前広場で見かけた怪しげな商売をする人々の思い出を綴った回顧録である。 残念ながら氏の貴重な体験が作中に活かされているとは思えないのですが、当時の人々が必死でたくましく生きている様子が伝わってきます。 ここで注目したいのが、この”特別寄稿”に添えられたイラストです。

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 画面右端に学生時代の菅原氏が描かれているが、手前にいるのは皆実とフジミお母さん。 これは、皆実が病魔に倒れることなく、水戸の旭君に会いに行くところを描いたアナザーストーリー? そして、その横には買い物をする少女。 京花?? この年代、京花はもっと小さいと思うんだけど、これもアナザーストーリー? 少なくとも この時点で京花の原型が出来ていたという事かな。 さて、菅原氏は この後、無事に学校を卒業して建設会社に勤務するようになり、その後の”大空建研”につながっていくことになります。

広島市中心部地図、奥付

 自費版のほうの広島市中心部地図には こうのさんの実家が書いてありますが、商業版では消されています。 ”こっこさん”のあとがきに書いてありましたね。 ちなみに、この地図には「夕凪の街」の登場人物の住まいの位置が描かれています。 細かい設定だなぁと感心してたんですが、これは各登場人物の名前の元となった地名の場所なんですね。

 奥付には、”夕凪の街”と呼ばれていた原爆スラムの(当時の)現在の姿が描かれています。 「桜の国(2)」で打越と旭が語り合った場所ですね。

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 このイラストには女性が描き込まれています。 これは作者でしょうか? それとも七海の原型でしょうか?

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 奥付には、初出・発行日のほか、「読んで下さって、本当に有難うございました。」との作者メッセージが。 これは、偽らざる作者の気持ちなんだろうなぁ。

その他

 ページ数は商業版が104ページ、自費版が44ページですが、自費版は表紙と裏表紙もページ数としてカウントしています。 そして、自費版の販価が250円というのは驚き。 このクオリティで この値段! ほぼ原価じゃないかな? 作者にとって、自費版の出版は営利や名誉欲ではなく、とにかく自分の作品を読んでほしいという事だったんでしょうね。


削られた、あるいは目標が満たされて不要となった解説文

 自費出版版と商業版の単行本を読みくらべると、あらためて自費版の完成度の高さに気付く。 ”その1”でも書きましたが、作者は商業版単行本の刊行に際して、自費版から削ることはあっても、新たに書き加えることはしていないのです。(イラスト除く) それだけ、責任を持って(あるいは、これが出版の最後の機会だと思っていたのかも知れませんね)自費版を世に出したことがわかります。 

 その削られた内容の中に、作者がこの時 既に、後に「桜の国」と呼ばれる作品を描く固い決意を持っていたと分かる部分があります。 それが、自費版の解説の中で打越のセリフに言及した部分です。 ”避けて通った問題”として作者があげているのは、商業版では29Pの1・2コマ目にあたる部分の解説。 『今回はいろんなつごうから、この頁の上段の打越の言葉で片付けてしまいました。』と告白しておられます。 

 この”避けた問題”こそ、作者に「桜の国」を描かせた理由なのですが、作者は続いて『この作品よりもずっと厳しい過程を辿ることになるだろうけれども、いずれあらためて描かねばならない』と強い意志を示しているのです。

 また ”その1”で書いたことの繰り返しですが、私は「桜の国」は「夕凪の街」の反響を見た編集側からのリクエストだと思っていました。 しかし、作者は「夕凪の街」執筆の時点で、既に「桜の国」の構想をはじめていたということなのです。 その決意がより鮮明に分かる資料が、私がお借りした本には挟まれていました。

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 それが、作者の近況や同人活動を綴った「のののーと」です。

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