SSブログ

ついに終了! アクションの特別再録 [番外]

 当初、3回のみと言われていた アクションの特別再録。 H30年9月18日発売の10月2日号(No.19)で、ついに最終回を迎えました。 いやぁ、最後までやっちゃったねぇ。 ドラマ版の最終回と重なったのは偶然かな? 

061.jpg

 ちょっとだけ残念だったのは、カラーページの再現がなかったこと。 さすがに雑誌の構成を変えるまでは出来なかったか。 逆に、連載時にこれが出来たという事が、どれだけすごいことだったのかが追認識できました。 そして今回の再録もすごかったよ。 アクションの中のヒト、お疲れ様でした。 ちなみに特別再録には、サブタイトルの年号に”昭和”って入れてあったのね。  

nice!(0)  コメント(2) 
共通テーマ:コミック

こうのまんがの謎  ”百一 hyakuichi” 1/5終了時編 [こうのまんがの謎]

 こうの史代の最新連載である ”百一 hyakuichi”が、このたび連載20回を突破しました。 この作品は「小倉百人一首」がテーマであるはずなので、ようやく全体の1/5が終わったことになります。 この時点で見えて来たもの、さらに深まった謎を見てみましょう。


広告スペースを買い取っているのか?

 このまんがは、「小倉百人一首」をモチーフとした”巻末1ページカラーまんが”です。 毎回、百人一首の一句を取り上げ、上の句の頭5字と下の句の頭7字を組み合わせたタイトルから連想された情景が、フルカラーでセリフ無しで描かれます。 別に百人一首を題材にした漫画も、1ページカラー漫画も史上初ではありません。 しかし、問題なのはその掲載場所。 この作品は、雑誌の裏表紙に描かれているのです。(7、8、11、17回は裏表紙の裏) ここは、雑誌にとって最も高額な広告料が取れるスペースです。

 いくら人気作家の連載で発行部数増が見込まれるからといって、この重要な広告スペースを無償で提供したりということは、日本文芸社の営業さんでなくともしないはず。 ということは、このスペースを確保するために、作者はいくらかを払っているのでしょうか? ここで思い出すのが、「長い道」のあとがきに書かれた作者のメッセージ。 「長い道」は、当初は3ページ連載で、この中途半端な長さにストーリーをまとめるのに随分と苦戦し、「いつかおカネ持ちになったら、広告の頁を買って四頁にしてやろう」と書いておられます。

 この時は半分ジョークだったのかもしれませんが、「広告頁を買い取ってまんがを描く」という野望は、作者の心の奥深くにひっそりと抱き続けられていたのではないでしょうか? この「長い道」のあとがきは、”二〇〇五年六月 雨の朝”に書かれていますが、ちょうど「夕凪の街 桜の国」が”大増刷出来”となり、作者にとって初めて まとまった額の印税が入り始めたであろう時と重なります。 実はこの時から密かな野望実現のために、コツコツと貯金をしていたのではないでしょうか?

 では、100回分にも及ぶ広告料を印税だけで払えるのでしょうか? これまで、作者の単行本で発行部数が公になっているのは、「この世界の片隅に」が累計130万部(百一連載開始時)、「夕凪の街 桜の国」が累計45万部(同)となっています。 これにその他の作品を入れると、おおよそ200万部近い単行本売り上げがあると思われます。 単行本の印税は販価の5~10%が相場のようですから、仮に1冊あたりの印税を80円と置くと、合計で 1億6000万円の印税があったと推定されます。

 一方、週刊雑誌のカラー1ページ当たりの広告料は、メジャーな週刊誌で 100万~150万円と言われています。 裏表紙はもう少し高いでしょうね。 メジャー誌で200万円くらいかな? 週刊漫画ゴラクは、現在では貴重な成人向け週刊漫画誌ですが、発行部数はメジャー誌よりは落ちる 28万部(公称)と言われているので、120~130万くらいかな(すべて私の勝手な推定です!)。 すると、100回分として広告費は総額 1億2000万円から1億3000万円くらいか。 「宝石にもクルマにも興味がない」という作者なら、十分払える可能性がある!!ということか。

 もっとも、単行本の収益を見込んでの広告料ディスカウントや、原稿料との相殺とかもやっているんでしょうね。 ここで言いたいのは、印税がどうのこうのではなく、とにかく何か他の人がやっていないことをやってみたいという作者のヴァイタリティを称賛したいという事です。 


主人公は誰か?

 連載20回を過ぎても いまだに名前の分からない主人公。 このヒトは何者? 風貌から連想されるのは、歴史の教科書に載っていた平安美人。 このヒトは百人一首の女流歌人がモチーフなのでしょうか? ひょっとすると、女流歌人の生まれ変わりか、それとも時空を超えて生き続ける本人? 第17回 「みちのくのみだれそめにし」では東北の地理に疎いことが発覚していますが、これは東北をまだ完全支配していない平安人であるという事の証明か?

 年齢的には、第2回の「はなのいろはわがみよにふる」のイメージから30歳過ぎかなと思ってたら、第16回の「ありあけのあかつきばかり」ではコスプレして有明のコミケに行ってるよ!! 若いじゃん!! 


(H30年9月14日追記) と思っとったら、第21回「つきみればわがみひとつの」で ついに主人公のプロフィールが明らかに。 年齢が1028歳(自称)というので、平安人が生き続けているというノリでやるというのは納得。 問題なのが、おおよそ人間のソレとは思えない ”太田 普及子”という名前。 本名を隠すため、咄嗟にその辺にある本に書いてある文字で偽名を語ったとか、そういうやつ?(江戸川コナンみたいに) ”普及版”との連想から、参考資料の小倉百人一首のパッケージから取ったのかなとも思ったけど、百人一首のメーカーって「任天堂」とか「大石天狗堂」とかで、”太田出版”とかはないのよね。 やっぱり身の回りの物から咄嗟に取ったとすると、これかな??↓

060.jpg

 ちなみにコナン方式説とすると、咄嗟に考えたのは 主人公でしょうか? 作者でしょうか?(笑)  好きなタイプが明智光秀というのは、作者の福知山住まいから来たのね。 これから他のキャラクターの紹介もありますかね? あの娘はミカでしょ?


やっぱりダジャレか?

 結構真面目な連載かと思いきや、連載初回から”三笠山”と文明堂のどら焼き(商品名=三笠山)をかけ、第4回では”住之江”と墨の絵、第5回では”みかの原”とミカの腹をかけています。 ああ、これは完全にダジャレ=お笑い路線なんだなと納得。 ちょっと高尚な感のある百人一首をユーモアで表現しようという事なのでしょうか?

 「ギガタウン」が出た時の読売のインタビュー記事の中で、「この世界の片隅に」以降の作品のテーマに統一性がないことを問われて、「みんなで話題にしてもらえるような作品を描こうと思う」というようなことをおっしゃっていましたが、ひょっとして、ユーモアやダジャレをきっかけに、百人一首のことを家族みんなで話してもらいたいという思いがあるのでしょうか?(なかなか漫画ゴラクを一家で楽しむような家庭はないと思うが)

 傑作なのは第14回「あはれともみのいたづらに」。 ありこさんのサイズになった主人公が草の葉の上を歩いて果実を収穫していますが、『逆から読んでね』の看板が。 早速逆から読むと「にらづたいに…」、 あ、ニラだ、この葉っぱ!! たいへんだなぁ、まんが家って。


100回なのか?

 小倉百人一首がモチーフなら、連載も100回? ひょっとしたら、主人公の未来が決まる101回目があったりして。 それとも、競技かるたの序歌である 「なにわづにさくやこのはなふゆごもり いまははるべとさくやこのはな」の句の回があるのかも知れませんね。

 おそらく単行本は百人一首の本格的な解説も入れた、オールカラー200頁超の豪華ムックになるのでは…


引っ越したのか?

 連載開始当初、主人公は店舗付きの木造2階建て住宅に一人暮らししていると思われました。 しかも、誰かが帰ってくるのを待っているような…(第2、10、12、13回) ところが、第20回では おばあさん(第11回で初登場)のうちでくつろいでいる様子が描かれます。 ひょっとして引っ越した?

 そういえば第15回「ゆらのとをゆくえもしらぬ」では、幽霊屋敷の住人(?)から隣の部屋を指さされていましたが、あれは転居先を探している主人公に「ここに住みなよ」と誘っていたという事か?! やっぱり、この作品も読み返すたびに新発見があるなぁ。 主人公は一人暮らしの寂しさから、偶然知り合ったおばあさんのうちに居候することになったのでしょうか? でも、おばあさん、結構主人公と顔が似ているんだよね。 実は祖母と孫の関係?

(H30年9月29日追記) ちょっと考えたんですが、このおばあさんの新解釈。 もしも”太田さん”が永久の命を持っているとするのなら、このおばあさん、実は”太田さん”の実の娘という解釈も出来るのでは? そうすると、第12回の解釈も変わってくるかな? ちなみに、”太田さん”の年齢の”自称”というのは、1000歳のほうじゃなくて、28歳の方にかかっているのね。 齢1000歳を超えても、なおサバを読む乙女心、いとおかしけり。


 百一、やっぱり侮れない作品です。


作者の著作に関する年表 百一1/5編

059.jpg


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:コミック

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。